2009年12月31日

映画考・鏡の誘惑

いちまいのガーゼのごとき風立ちてつつまれやすし傷待つ胸は (小池光) 

高校生の頃、授業をさぼっては、場末の映画館に潜り込んでいた。
なぜ学校に来ないのか。頭の薄い教師は問うた。
何かをする。何かをしない。
誰もがその本当の理由を踏まえて、行動していると云うのか。

タクシー・ドライバー 大人は判ってくれない 勝手にしやがれ
 革命前夜 明日に向かって撃て!
 時計じかけのオレンジ 情事
 ワイルドバンチ フェリーニのアマルコルド
 バルタザールどこへ行く タクシー・ドライバー

 人はなぜ映画なんかに熱狂するのだろう。

コンピュータが拵えた不在の書割り、存在するも薄っぺらな建物、
走らない汽車、そして、非実用的な肉体を持った俳優たち。

つまりは、張り子の寄せ集めだ。
それが映画の正体。子供だましの類。

それでも人はスクリーンを食い入るように見つめ、饒舌に言葉を重ねる。

だが、いったい何について語っているのか。
誰もが自分自身の人生に悩み、苦しんでいるはずなのに。

映画は自惚れ鏡だと、佐藤忠男は云った。

人は鏡の奥を覗き見たいという欲望をもって、映画を見るのではないか。
鏡は、影見だと云う。 

スクリーンという白い暗闇に写しだされるのは、ただの光と影の戯れ。
人はそんなはかない装置にまですがって、
なにがしかの答えを探そうとする、
自分の顔を自分の眼でじかに見ることもできぬ不自由な存在。

生きることの含みは、闇に眼を凝らすことでしか見つからないのかもしれない。

映画館を出ると、きまって意識のざわめきのような風が吹いている。
       
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 ★ 通常の記事は ↓ からどうぞ ★

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■ 備忘録を兼ねて、旧作を主に取り上げるのでネタバレ必至。
  危険地帯は自己判断の上、目を瞑って読まれたし。
■ 名画座育ちのせいか、記事は2本立て、3本立ての傾向あり。

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2008年04月18日

郵便配達は二度ベルを鳴らす

イタリア・ポー河畔、街道沿いの小さな食堂。店を切り盛りしながら、女は物憂げに口ずさんでいた。「可憐な花、大輪の花、恋は美しい。愛のない人生に何の意味があるの」。女は一回り年嵩の夫との生活に倦んでいた。そこへ男が現れた。無一文の流れ者だが、筋骨の逞しい(肩にも毛の生えた)若い男だ。住み込みで働くようになる。
 
【 Ossessione 】
妄執監督:ルキノ・ヴィスコンティ (42年・伊)
原作:ジェームズ・M・ケイン 
脚本:ジュゼッペ・デ・サンティス、ジャンニ・プッチーニ
ルキノ・ヴィスコンティ他
撮影:アルド・トンティ、ドメニコ・スカラ 
音楽:ジョゼッペ・ロサーティ
出演:マッシモ・ジロッティ、クララ・カラマイ、ジュアン・デ・ランダ 

二人は一目で情欲を掻き立てられた。夫の目を盗んでは情事にふける。だが、こんな生活が長続きするはずもない。男(ジロッティ)は駆け落ちを誘う。女(カラマイ)は安定した暮らしを捨てられない。折しも夫が子供を望んだ。追い詰められた。二人は物陰に隠れて唇を求め合う。「少しの辛抱よ」。それはあうんの呼吸だった。映画は、夫殺しの場面を描かない。

原作はハードボイルドの古典だが、「地獄に堕ちた勇者ども」「ベニスに死す」の後年の巨匠が処女作として三面記事のような話を手掛けたというのが面白い。ネオ・レアリスモの先駆とされる。当時のルキノ・ヴィスコンティ監督の鼻息も荒い。「ロベルト・ロッセリーニの「無防備都市」は本作の影響から生まれた」。寂寞とした風土の中に赤裸に描かれた男と女の欲望。その衝撃はなまなかではなかったのか、当局のの忌避に触れて公開を禁じられたという。ファシスト政権下で、こうした題材を取り上げたというのがネオ・レアリスモの精神というものか。

近年、邦画界でも映画のリメイクが相次いだ。企画不足という状況のなせるわざだろうが、黒澤明や清水宏に挑戦するという心意気は悪くない。だが前作を見ている者にとっては、少なからず新機軸を打ち出してもらわないと困る。先日見た「犬神家の人々」のリメイク版はあんまりだった。市川崑監督は常々「映画は光と影である」と云っていたそうだが、その影が消えていた。石坂浩二の顔には「犯人を知っているのに・・・」と書かれていたし、加藤武の「よし、分かった!」の手の動きには切れがなかった。大体、老いを感じさせるばかりのコメディリリーフだなんて見るのも辛い。そして禍々しい土俗的な雰囲気もどこへやら、湖の映像はすっかり絵葉書になっていた。

山田宏一著「美女と犯罪」を読んで、興味を持ったのがティ・ガーネット監督作(46年・米)だ。冒頭のラナ・ターナーが登場する場面から目を引いた。店に入ったジョン・ガーフィールドの足元に口紅が転がってくる。男の視線となったカメラが女の姿を下から写し出す。ハイヒール、すらりと伸びた脚、ホットパンツ、腹部が露出したトップ、頭のターバン。山田によれば、これは典型的なヴァンプの装いだと云う。そして、全ては純白なのだ。

郵便配達は二度ベルを鳴らす「死の天使は白いドレスに包まれたブロンドの美女なのである。悪魔のようにどす黒い心を秘めた肉体を天使のように清らかで美しく罪なきイメージに装うという、単純といえば単純ながら巧妙な視覚的効果でハリウッドのプロダクション・コード(映画製作倫理規定)の検閲の目を欺くための方法であった」

「ヴァンプ(淫婦)やファム・ファタール(妖婦)というのは唇が薄く、頬がこけ、骨ばった体つきで、セダ・バラやニタ・ナルディやミュジドラ以来、黒いドレスやボディスーツに身を包んだ黒髪の女というのが通り相場だった」
(前掲書)

「俺を愛しているんだな。ならば方法は一つだ」。最初に不穏なことを口にしたのは男の方だった。だが相手は、事をし終えた後に男などに用はないと云わんばかりに口紅を引くような女だ。あくまでも男は翻弄され、ラナ・ターナーの冷たく妖しいエロティシズムが犯罪を導く。そんな夫殺しへと至る前半はフィルム・ノワールならではの背筋がぞくぞくするような背徳的な魅力に満ちていたが、後半は二人の人物像の輪郭がぼやけて、尻すぼみになった印象がある。

ラナ・ターナーと云えば、娘が彼女の情夫を包丁で刺し殺したスキャンダラスな事件で世間を騒然とさせたそうだが、この事件によって落ち目だった女優は再び注目を集め、以降「母もの」のスターとして返り咲く。テレビ放映で「青春物語」(57年)や「悲しみは空の彼方に」(59年)などを見ているが、ちょっと忘れがたいのが「母の旅路」(65年)だ。なぜって物語が半端ではない。

名家の当主に見初められ結婚した主人公が、夫が留守がちの淋しさからプレイボーイの男と浮気する。親子三人水入らずで暮らせるめどがついて、彼女は不倫の関係を清算しようとするが、相手が承服しない。話がこじれて揉み合ううちに誤って男を殺してしまう。かねて嫁の態度を訝っていた姑は醜聞の発覚を恐れ、溺死を装って彼女を追放する。別人として世界を放浪することを余儀なくされた主人公は酒と男に溺れる。あげく、彼女の秘密を知って脅迫しようとした悪党を殺して逮捕される。最愛の息子に累が及ぶのを恐れた母ゆえの犯行だったが、その裁判の官選弁護人として現れたのはあろうことかその息子だった・・・・・。

一昔前の昼メロにありそうな絵に描いたような通俗メロドラマだが、落魄するラナ・ターナーの迫真の演技は見ものだった。当時は件の事件のことも艶聞が絶えなかった私生活のことも知らなかったが、スターのイメージを貪欲に食い尽くそうとするハリウッドの胃袋の逞しさには感心する。

【 The Postman Always Rings Twice 】
監督:ボブ・ラフェルソン (81年・米)
脚本:デイヴィッド・マメット
撮影:スヴェン・ニクヴィスト 音楽:マイケル・スモール
出演:ジャック・ニコルソン、ジェシカ・ラング、
ジョン・コリコス、アンジェリカ・ヒューストン

「郵便配達は二度ベルを鳴らす」は計4回リメイクされているが、最も知られているのがボブ・ラファエルソン監督作だろう。いつも口を半開きにし「全身が発情しているような」ジェシカ・ラングと粘着質のジャック・ニコルソンによる、台所での粉まみれのファックシーンが評判を呼んだ。

「二人でいれば何とかなる」
「私はあなたのものよ・・・二人きりなら」
「どういうことだ?」
「善悪なんかどうでもいい」
「死刑になるぞ・・・」

犯罪に手を染める覚悟は卒然として固まる。女は夫との生活に不満を漏らすこともなかった。もはや周知の物語だから心の内の絵解きなどいらないということか、映画は即物的な描写に徹する。例えば、夫の死体を乗せた車を崖から突き落とした後、二人が交通事故を装うために互いの体を痛めつける場面がある。血だらけになって倒れた女は、だがそこにSM的な興奮を覚える。荒い息のままゆっくりと股を開く。

夫を殺害した後の男と女の反応の違いを丹念に描いたのはヴィスコンティだ。男は罪の意識に苛まれる。女はひたすら愛の成就を見据える。夫が生命保険に入っていた事実の発覚もあり、愛憎の糸は複雑にもつれる。街に出て別の女と関係を結んだ男と、尾行によってそれを知った女。「私と帰らないなら、覚悟して!」と往来で平手打ちを食わせる。通行人が集まって来る俯瞰ショットに息を飲む。それが現代的な流儀と云うものか、ラファエルソン版は決して心理の襞には立ち入らなかった。だが、あの皮肉な結末から、運転中はいちゃいちゃしてはいけないという間の抜けた教訓だけしか読み取れなかった者が現れたのはそのせいではなかったか。

露骨な性の表現が許されなかった時代があった。ゆえに、映画的な表現に意を凝らす。山田宏一も書いていたが、そんな工夫が見る者に豊かなイメージを喚起してきたのが映画史の一面でもある。その点、「郵便配達は二度ベルを鳴らす」という原題も示唆に富む。運命の悪戯は一度目の偽りの交通事故は見逃し、二度目の不慮の交通事故で罪を問う。

Here they come. Father McConnell says prayers help. If you've got this far, send up one for me, and Cora, and make it that we're together , wherever it is.

ついにこの瞬間が来た。マコネル神父は祈れば救われると云う。あなたもここまで読んでくれたのなら、俺と彼女のために祈ってくれ。どんな世界であろうと、俺たちが一緒にいられるように。

原作の最後の一節だ。小説の世界を最も伝えていたのはどの作品か。訳し方ひとつで雰囲気はがらりと変わる。原作に忠実であることが映画の出来を保証するものでもない。ラファエルソン版は「マクベス」のように血塗られたジェシカ・ラングの手のアップで終わった。ガーネット版では車の助手席で崩れ落ちたラナ・ターナーの手から口紅がこぼれ落ちた。そして、ヴィスコンティ版は男の顔のアップで幕を閉じたか。現代的な扇情描写とハリウッドの作法と正統的なリアリズムと、それぞれに表情が違う。リメイク映画を見る醍醐味ではある。

■ 予告編 :ティ・ガーネット版

■ 映画史的な、美女と犯罪 ■

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2008年04月12日

カンバセーション…盗聴…

昼下り、サンフランシスコ・ユニオン広場。雑踏の中を一組の男女が歩いている。周辺には、どこか不倫の匂いがする二人の行動に目を光らせ、会話に耳をそばだてる男たちがいた。ビルの屋上にはライフル銃のようなものを構える男もいる。望遠系レンズによって捉えられた一連の映像には、やがて無機的な歪んだ電子音が重なる。

【 THE CONVERSATION 】
監督・脚本:フランシス・フォード・コッポラ (73年・米)
撮影:ビル・バトラー 音楽:デヴィッド・シャイア
出演:ジーン・ハックマン、ジョン・カザール、ハリソン・フォード、ロバート・デュヴァル、フレデリック・フォレスト、シンディ・ウィリアムズ

カンバセーション…盗聴…脅迫メールを貰ったことがある。「お宅の秘密を知ってるよ。フフフ。毎週○○で飲んで、その後は△△に行くんだ。口座にいくらか振り込んでもらおうかな」。店の名前まで知っている者は限られている。たちの悪い悪戯をしそうな友人の心当たりもあった。だが結局、犯人は分からなかった。あっさりと3、4通で終わったものの、薄気味の悪さは残った。顔の見えない悪意ほど禍々しいものはない。ましてや、自宅に盗聴器や小型カメラが仕掛けられていたときの恐怖たるや如何ばかりか。冷たい機械の背後に広がる闇には、不気味な薄笑いが潜んでいるのか。

「カンバセーション…盗聴…」は、ウォーターゲート事件の直後に公開されて物議を醸したと聞く。フランシス・フォード・コッポラ監督によれば、映画の構想を思い立ったのは事件より前だ。よって直接のつながりはない。慧眼の士とは図らずも時代の病理を予見してしまうものなのかもしれぬ。

映画は闇の住人に焦点を合わせる。主人公の特異な人物造形が目を引く。ハリー(ハックマン)は腕利きの盗聴屋だが、自らの私行が暴かれることを極度に恐れる。その猜疑心たるや、常軌を逸している。恋人にまで住所や職業を伏せる。風采の上がらぬこの独身の中年男は、決して他人に心を開かない。

今回の仕事もターゲットの私生活には深入りせず、淡々と依頼人の注文をこなすつもりだった。だが、何かが引っかかった。ハリーは録音テープに何度も耳を傾ける。雑音を取り除き、気になった箇所を増幅していく。果たして、男の声は呟いていた。「僕たちは殺されるかもしれない」。ハリーの罪の意識が疼いた。

【 BLOW‐UP 】
監督:ミケランジェロ・アントニオーニ (66年・英、伊)
脚本:トニーノ・グエッラ、エドワード・ボンド
撮影:カルロ・ディ・パルマ 音楽:ハービー・ハンコック
出演:デヴィッド・ヘミングス、ヴァネッサ・レッドグレーヴ、サラ・マイルズ

篇中で一度も名前を呼ばれなかった主人公は気鋭のファッションカメラマン。昼の公園で男女の密会現場を盗み撮りした彼は、やはり何かが気になってその写真を引き伸ばす。そこには藪の中で銃を構えた男の姿と死体らしきものが写っていた。

コッポラの言葉によると、「カンバセーション」はこのミケランジェロ・アントニオーニ監督「欲望」から想を得たという。だが、作品の色合いはまるで異なる。ミステリー仕立ての構成によってアントニオーニが浮き彫りにするのは、存在の不確実性とでもいった哲学的な主題だ(そうな)。

深夜の公園で死体を確認した主人公が家に戻ると、写真はすべて盗まれていた。そのことを告げるべく男は警察へ、ではなく友人を探してロンドンの街をさまよう。ライブハウスではヤードバーズ(!)が「トレイン・ケプト・ア・ローリン」を演奏しているのだが、聴衆はほとんど無反応だ。ジェフ・ベックが調子の悪いアンプに腹を立ててギターを叩き壊して、客席に放り投げる。すると、聴衆は目の色を変える。偶然ギターの残骸を手にしたのは主人公だが、興味のない彼にとっては只のゴミでしかない。路上であっさりと捨ててしまう。

翌朝、公園から死体は消えていた。麻薬パーティでようやく見つけた友人も興味を示さなかった。すべては男の幻覚だったのか。終幕、再び浮かれ騒ぐモッズ族の若者たちが現れ、見えないボールでテニスを始める。足元に転がってきたボールが男にも見えたのか、それを拾って投げ返す。そして、やはり緑色の芝生の上で主人公の姿は文字通り「消える」。

冴えざえとした色調の映像と幾何学的な構図で描かれる白日夢。最先端のファッションも、浮浪者のモノクロ写真も、モデル志願の女の子たち(ジェーン・バーキン!)との戯れも、すべては等しく価値があり、価値がない。愛は不毛だが、存在もまた不毛だ。これを身も蓋もないと云う。「情事」や「太陽はひとりぼっち」などはもっと魅力的な表情を湛えていなかったか。何だか頭が痛くなってきた。

アントニオーニとは違い、コッポラの関心はあくまでも世俗的だ。自分が関わった盗聴によって再び事件が起こるのではないか。教会で懺悔もしたハリーは罪悪感に苛まれる。ベンチで眠る浮浪者に同情していた女の声も耳から離れなくなる。「きっと、あの人だって誰かの子供として愛されていたんだわ・・・」。女は依頼主の妻だった。恐らく痴情のもつれから殺人が行われようとしている。ハリーは犯行現場となるホテルの隣の部屋に身を潜め、盗聴器でじっと様子を窺う。だが、殺されたのは意外な人物だった。便器から卒然として噴出した大量の血は、果たして夢かうつつか。

技術の発達は盗聴という商売が成り立つ世界をも可能にする。だが、人間は自らが作った技術そのものによって翻弄される。そこでは加害と被害の関係も容易に反転する。血と暴力の群像劇でもあった「ゴッドファーザー」とは打って変わって、コッポラが殺人に加担することになる一人の男の内面に興味の錨を下ろした点も面白い。

当初、主人公の役にはマーロン・ブランドが予定されていた云う。傑作の常だが、想像がつかない。ジーン・ハックマンがそれほどいい。「フレンチコネクション」の粗暴な刑事が体現する、荒涼たる都会の孤独。カメラは人物がフレームアウトした後も無人の部屋を写し続ける。「現代」の恐怖映画はどこから生まれるのか。恐怖を振り払うかのように一心不乱にサックスを吹き続けるハリー。カフカ的な寓意(文春文庫「ミステリーサスペンス洋画150」)に富んだ結末はちょっと忘れ難い。

■ 予告編 : カンバセーション…盗聴… 欲望

・・・・・「欲望」、面白そうだなあ。

■ コッポラ vs アントニオーニ 異種格闘技戦 ■

カンバセーション…盗聴…カンバセーション…盗聴…

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2008年04月04日

刑事ジョン・ブック 目撃者

見渡す限り麦の穂が風に舞う中を、黒い出で立ちの人々が通り過ぎる。レイチェル・ラップ(マクギリス)の夫が亡くなった。と云って、黒い衣装は喪服ではなく、彼らの正装だということは後に明らかになるだろう。

【 WITNESS 】
監督:ピーター・ウィアー (85年・米)
原案・脚本:ウィリアム・ケリー、アール・W・ウォレス、パメラ・ウォレス
撮影:ジョン・シール 音楽: モーリス・ジャール
出演:ハリソン・フォード、ケリー・マクギリス、ルーカス・ハース、ダニー・グローヴァー、ジョセフ・ソマー、ヤン・ルーブス

一人息子サム(ルーカス)を連れて、レイチェルは都会の姉を訪ねる。しかし、途中駅のトイレでサムが殺人を目撃してしまう。ジョン・ブック刑事(フォード)は親子を引き止め、容疑者の面通しを行う。首を振るばかりだった少年が、署内で何気なく目を留めた新聞記事に犯人の顔があった。ある刑事の手柄を称えた記事だ。このことを上司に告げた直後、ブックは襲われる。何ということだ。親子の命も危ない。ブックは急ぎ親子をペンシルバニアの村へ送り届けるが、手ひどい傷を負っていた。

オーストラリア出身のピーター・ウィアー監督の代表作。現代文明と隔絶して暮らすアーミッシュの存在を広く伝えたことでも話題を呼んだ。

アーミッシュの人々は何よりも暴力を嫌う。ブックの銃に興味を抱いたサムを祖父が諭す。「銃を一度手にすれば、それは心を染める。彼らから離れて暮らせ。主の言葉だ。汚れたものに触れるな」。しかし、映画はアーミッシュに材を取り、暴力を描く。妙な気がしないでもない。アーミッシュの人たちは勿論、この映画を見ていないと聞く。

甘く切ない恋愛映画でもある。独特の習俗に戸惑いながら、ブックは彼らと同じ装いをし、生活を共にする。夜を徹して看病した未亡人はブックに好意を抱く。彼女に思いを寄せるダニエルという男もいる。村人が総出で新婚夫婦の納屋を建築する美しい場面がある。仕事の後のレモネードが実に美味そうだ。だが、三人は視線で牽制し合う。

その夜、レイチェルが体を洗っていると、鏡にブックの姿が映る。レイチェルは振り返る。肉付きのいいレイチェルの母性的な肢体。金色の産毛。ブックは目を伏せる。目を上げる。レイチェルは後ろを向く。元の格好で体を洗う。男と女の際どい気配が漂う。一連の仕草と濃密な空気が及ばぬ恋の苦おしさを語る。

ケリー・マクギリスが聖母のように神々しい。気品のある色香で、イングリッド・バーグマンをも彷彿とさせる。対するハリソン・フォードは困った表情をさせたら絶品だ。と云うか、この顔しかできないのか。

終幕の別れの場面もいい。軒先のブックと戸口のレイチェルが見つめ合う。レイチェルが後ろを向く。首で振り返る。車に乗り込もうとするブックに、祖父が云う。「英国人に気をつけろ」。映画の冒頭で、旅に出るレイチェルにも云った言葉だ。画面の奥へと一本道が延びる。一本道でつながっていても世界は違う。異文化との葛藤を好んで描いてきたウィアー監督の年来のテーマが響く。向こうからゆっくりと歩いてくるダニエルがブックの車とすれ違うとき、軽く手を上げる。このロングショットの情感が胸に染み入る。牧歌的な田園風景の美しさとモーリス・ジャールの荘厳な音楽。映画はいかにもハリウッド的な通俗仕立てだが、アーミッシュへの敬意によって詩情へと昇華した。

ピーター・ウィアーと云えば、奇怪な岩山で裸足で安らぐ白いドレスの少女たちの姿が芳しいまでに美しかった「ピクニックatハンギングロック」(75年・豪)や、ロビン・ウィリアムスが異端の教師を演じた「いまを生きる」(89年・米)なども有名だろうが、もう1本上げるとすれば豪州時代の「誓い」か。全体の統一感に難なしとはしない「刑事ジョン・ブック」よりも出来具合は優っていたかもしれない。

【 GALLIPOLI 】
監督・原案:ピーター・ウィアー (81年・豪)
脚本:デヴィッド・ウィリアムソン
撮影:ラッセル・ボイド 音楽: ブライアン・メイ
出演:マーク・リー、メル・ギブソン、ビル・ハンター

アーチーは将来を嘱望される100メートル走者だった。叔父が熱心に仕込んでいた。しかし、彼の胸中には別の大志が燃え盛っていた。1915年、第1次大戦。祖国のために戦いたい。アーチーは家出同然に兵役を志願する。一方、地元の陸上大会でアーチーと出会ったフランクは貧しく、先行きの当てもなかった。二人は新兵を募集する町へ80キロの道のりを歩く。灼熱の砂漠だ。飢えと渇きに苦しむ。アーチーは軽騎兵に入隊する。馬に乗れないフランクは昔の仲間と共に歩兵に入隊する。そして、前線へと駆り出される。アーチーはフランクの軽騎兵への異動を上官に願い出る。「馬はいりません。馬よりも早く走れますから」

マーク・リーという俳優がアーチーを、今やオスカー監督でもあるメル・ギブソンがフランクを好演して、若さの香気が匂い立つ。

戦場の描写は「西部戦線異状なし」を連想させる。塹壕で恐怖に脅える若い兵士たち。反戦を声高に訴えるわけではない。ウィアーは二人の主人公の運命を澄明な眼差しで見つめ、戦争の悲劇を静かに浮き彫りにする。

英軍の上陸を助けるための牽制として次々にトルコ軍陣地に突撃して死んでゆく若者たち。大佐の出撃命令は容赦がない。アーチーは恐怖に震えていたフランクに伝令の役目を譲っていた。見るに見兼ねた隊長は将軍に上申する。「攻撃を終了せよ」。その知らせを受けてフランクが走る。走る。また走る。だが、間に合わない。突撃の号令を聞いて絶叫するフランク。アーチーは飛び出す。「豹のように走れ」。100メートルの練習のときの叔父の掛け声を繰り返す。アーチーが撃たれたとき、画面は止る。胸をそらせたその姿は、100メートル走をゴールインした瞬間であるかのように。

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■ 掟を破れば汚れたものになる・・・ ■

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2008年03月26日

エイリアン

宇宙貨物船ノストロモ号は地球への帰途、謎のSOS信号を傍受して未知の惑星に降り立つ。それは異星人の宇宙船なのか、船内には奇怪な卵状の物体が並んでいた。調査のために隊員の一人が近付く。その瞬間、卵の中から飛び出した何かが彼の顔面に貼り付いた。

【 Alien 】
監督:リドリー・スコット (79年・米)
原案・脚本:ダン・オバノン、ロナルド・シュセット 
撮影:デレク・ヴァンリント 特撮:ブライアン・ジョンソン
音楽:ジェリー・ゴールドスミス
出演:シガニー・ウィーヴァー、トム・スケリット、ジョン・ハート、ハリー・ディーン・スタントン、ヴェロニカ・カートライト、イアン・ホルム、ヤフェット・コットー

宇宙SFものをゴシック・ホラー風に演出し、時代色を映した強い女性像をヒーローに仕立てることで大ヒットを記録した。監督は「グラディエーター」でオスカーに輝いたリドリー・スコット。この「エイリアン」の成功で映画界の第一線に躍り出たのだが、ロンドン王立美術大出身のBBCのセット・デザイナーという前歴の持ち主でもある。

「エイリアン」の面白さは、まずスイス人画家H・R・ギーガーらの手による美術デザインの異形ぶりに負う。宇宙船が着陸した惑星に残骸をとどめる古代ガレー船のような物体、どこか卑猥な件の卵の群れ、その卵から生まれ、最後には金属製の巨大な怪物に変態するエイリアンの造型。

顔面に付着したエイリアンは、いつしか死骸となって発見された。だが安堵したのも束の間、隊員(ハート)の腹部を食い破って怪物の幼虫が現れる。この場面には肝を潰した。かようにショック演出の手は込んでいる。

密室と化した宇宙船内に潜んだエイリアンはいつ、どこから、どのように襲ってくるのか。隊員の背後には不意に怪物の影が現れる。それを目撃した猫の顔の大写しが続く。実感としての時間は引き延ばされる。正体の分からない怪物を小出しにするという手法が、息詰まるサスペンスを生む。

全編のひんやりとした空気をエイリアンによる暴行が破る。粘膜的なわいせつ感と金属の冷たさという異質の感覚の共存によって醸し出される恐怖と、それに打ち震えながら応戦するリプリーの息づかいは、エロティシズム以外の何物でもない。

エイリアンのごとき単性生殖で、自らの幼虫を懐胎させるのに相手の生物を選ばない種が存在したとすれば、その生物にとって、性の<前戯>としての愛はどのような形態をとるのか。「エイリアン」はこの問いに対するひとつの解答、すなわち人類を被害者側に置いた<獣姦映画>というのが、この作品の本質だ。
(西岡文彦)

ところで、「エイリアン」はTIME誌の歴代ホラー映画ベスト25(追記1)にも選ばれている。このリストが面白いのは、世界最古の映画とされるリュミエール兄弟の「列車の到着」(1895年)やディズニー映画「バンビ」(1942年)なども上げているところだろう。「列車の到着」の選出は、眼前に迫り来る列車に観客が驚いて逃げ出したという伝説を評価したようだが、リュミエール兄弟は絵画のように映画を撮ったのではないかと云ったのはゴダールだ。つまり、映画という媒体の出現自体がホラーだったという話ではないかとも思うのだが。(その恐ろしさはYouTubeでどうぞ)

たった一匹のエイリアンに隊員らが次々と倒されていくなか、恐るべき極秘任務を帯びたアンドロイドとの格闘では我らが「平凡パンチ」を口に押し込まれたりしながらも(2)ひとり生き残ってエイリアンとの壮絶な死闘を繰り広げた女戦士は、「エイリアン2」(86年)でもいよいよ精彩を放つ。

50数年後、宇宙空間を漂っていたリプリーは救出された(もちろん年は取らずに)。だが、その間にエイリアンの巣とも知らずに惑星に植民していた人類。果たして、惑星からの音信が途絶えた。夜毎の悪夢を追い払うためにも、再びリプリーは海兵隊を率いて飛び立つ。

"Aliens"と複数形になった原題が端的に示すように今度の敵は大群だ。宇宙を舞台にした恐怖譚から痛快活劇へというのがジェームズ・キャメロン監督の趣向だ。

「ターミネーター」流の派手なアクションに不鮮明な映像、そこに基地爆破の時間サスペンスも加わる。泣き言を云いながら立ち上がるも殺されていく男たちとは裏腹に女たちは凛々しく頼もしい。「子供に構わないで!」。基地に残された孤児を守るために、パワーローダーなる兵器をまとってエイリアンの前で大きく手を広げるリプリー(実際には、あまりの突拍子のなさに笑ってしまったが)。対するエイリアンも、産み落としたばかりの卵をみな焼き殺されている。後に「タイタニック」を撮ることになる監督ならではの、通俗的な母性対決とでも云えばいいか。

シリーズものは回を重ねるごとに尻すぼみになる。その点、このシリーズは健闘した。エイリアンを倒して植民惑星を脱出したリプリーが、救命艇の事故で囚人惑星に不時着する。ところが、生き残った怪物が一匹、艇に乗り込んでいた。女に飢えて凶暴化する囚人たちとの対立の中で、彼女は生存のための死闘を始めるというのが「エイリアン3」(92年)だ。

舞台となる刑務所はSF世界とは異質のコンクリート剥き出しのざらりとした感触で、中世の修道院を彷彿とさせる。加えて、地下道は迷路のようだ。僧服をまとったような囚人たちは、リーダー格の黒人を中心にして黙示録的な信仰に生きている。

いわば、宇宙船に乗って中世暗黒時代の修道院に漂着してしまったジャンヌ・ダルクの受難の物語。プロモーションのために来日したシガニー・ウィーバーが、この作品には当時27歳の青年監督の世紀末への思いが込められていると語っていた。監督は、この後に傑作「セブン」を撮ることになるデイヴィッド・フィンチャー。だが、マドンナの「ヴォーグ」等を手掛けてきたMTV出身の感覚が災いしたのか、「エイリアン3」のサスペンス描写は弱かったような覚えがある。

丸刈りにしたリプリーは最後の光芒を放つ。彼女の体内にエイリアンが巣食った。当局はエイリアンの生物兵器への転用を目論んでいる。もはや人類を救う手段は他に残されていない。彼女は溶鉱炉に身を投じて、エイリアンとの戦いに殉じる。大団円。シリーズはまさしく宗教映画として幕を閉じた――。

と思いきや、「エイリアン4」「エイリアンVSプレデター」・・・・・などと、続編が作られていたことは最近まで知らなかった。予断は禁物だが、恐らくは蛇足だろう。ひとつの成功に味を占めて、どこまでも食い尽くそうとする。大ヒットした娯楽作の常とはいえ、そんな映画ならぬ映画界の体質こそが一番のホラーなのだろうと云いたくもなる。

■ 予告編 : エイリアン  

■ SFホラー美術 ■

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■ 追記
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2008年03月16日

ブーベの恋人

汽車に乗った女が車窓の景色を眺めている。切々たる内面の声が重なる。「2週間毎にこの旅をする。いつも心がはやる。道連れは幸せだった頃の思い出・・・」。ブリジット・バルドーのBBとマリリン・モンローのMMに対抗してCC。ルキノ・ヴィスコンティ監督は「恐るべき雌豹」と呼んだ。

クラウディア・カルディナーレ【 La Ragazza di Bube 】
監督:ルイジ・コメンチーニ (1963年・伊)
原作:カルロ・カッソーラ 脚色:マルチェロ・フォンダート
撮影:ジャンニ・ディ・ヴェナンツォ 音楽:カルロ・ルスティケリ
出演:クラウディア・カルディナーレ、ジョージ・チャキリス、
マルク・ミシェル

第2次大戦末期、トスカーナの小村。マーラ(CC)の家に兄の戦死の知らせを持って若いパルチザン兵(チャキリス)が現れた。絹の美しさにも惹かれ、すぐに恋に落ちた。手紙を待ち暮らす日々が続くが、一緒に町に行って、憧れの赤いハイヒールを買ってもらった。パンを齧りながらあっけらかんと「大好きよ」と打ち明ける。激しい気性の持ち主だが、時に古風な一面も見せる。成熟した肉体に反して、まだ少女なのか。

「ブーベの恋人」という受け身の題名に要諦がある。土の匂いのするエロティシズムというクラウディア・カルディナーレならではの魅力が横溢する一作だ。

ブーベは憲兵とのいざこざから殺人を犯し、警察に追われる身となる。工場跡の廃墟で一夜を共にするが、ブーベは国外に逃亡しなければならない。マーラは恋人を乗せて走り去る車を見守る――。この場面からある映画が脳裏に浮かぶ。やはり恋人を乗せた警察の車をどこまでも追いかけるCCの姿が評判になった「刑事」(59年・伊)のラストシーンだ。ピエトロ・ジェルミ監督と云えば、初老の鉄道機関士一家の哀歓を叙情的に描いた「鉄道員」(56年・伊)でつとに知られる。そのせいか「刑事」はCCの印象よりも、難航する捜査の過程を丹念に追った本格的な刑事ものだったことに驚いた。とまれ、CCは一躍脚光を浴びることになった「刑事」によって女優としてのイメージが固まったのだろう。

町で暮らすようになったマーラは印刷工のステファノ(ミシェル「シェルブールの雨傘」!)と出会い、映画のデート(「哀愁」だったか)を重ねたりするうちに心が傾く。「婚約したら女が一歩引いてこそ、愛が詩になる」という男の言葉にも頷く。だが、口付けを迫られると苦渋の顔をさっと背ける。画面もためらうことなく切り替わる。そんなルイジ・コメンチーニ監督の乾いた語り口がいい。荒削りなようでいて計算されている。大ヒットしたという主題曲の哀調も耳に残る。監督の代表作とされる「天使の詩」(65年・伊)はまだ見ていない。

ブーベが帰国し逮捕されてからの一連の場面はCCの独壇場だ。マーラは後ろ暗い気持ちのままブーベに面会に行く。「違う場所で君と会いたかった。君の心は変わっていないんだね」とさめざめと泣く男に、独特の嗄れ声で「ええ」。マーラは決然と嘘をつく。後戻りできぬようにと自らに課した婚約も解消し、ステファノにもきっぱりと云う。「私はブーベの恋人なの」

どこか演歌の世界を思わせる話だが、はじめ覚束ないように見えた赤いハイヒールをいつしか履きこなし、やや太い脚で地を踏みしめて歩く逞しいCCの姿が彼我の違いをはっきりと際立たせる。
(鮮やかな結末は追記にて)

ところで、「愛の旅人」(朝日新聞be編集グループ)によれば、この物語は実話を下敷きにしている。原作者もこの小説によって国民的作家になったと云う。「マーラはここに住んでいて、ブーベというパルチザンもいたよ。結局、二人は別れちゃったけどね」。実際は違うのだが(下記の関連サイト参照。必読)、二人をめぐる伝説として、そんな声がイタリア各地で拾えるというのだから面白い。

CCの代表作として「鞄を持った女」(61年)を挙げるファンも多い。16歳の青年と大人の女の悲恋を描いた作品だが、個人的にはヴァレリオ・ズルリーニ監督の思わせぶりな演出が鼻についてあまり感心しなかった覚えがある。代わって最近見たのが「熊座の淡き星影」だ。あの「情熱の瞳、意志の唇、成熟の肉体」(秋本鉄次)が存分に味わえるとは云えないだろうが、この映画のCCはまさしく雌豹に変身する。加えるに野生の眉(あの太さ!)か。暗闇に息を潜めた雌豹といった趣なのだ。田舎娘ばかりではなく、没落する名家の子女といった役柄も堂々と演じうるところが「恐るべき」所以なのだろう。

【 Vaghe Stelle dell'Orsa 】
監督:ルキノ・ヴィスコンティ (1965年・伊)
原案・脚本:スーゾ・チェッキ・ダミーコ、エンリコ・メディオーリ、ルキノ・ヴィスコンティ
撮影:アルマンド・ナンヌッツィ 音楽:セザール・フランク
出演:クラウディア・カルディナーレ、ジャン・ソレル、マイケル・クレイグ、レンツォ・リッチ 

上流人士らが集った私的なパーティを終えて、アンドリュー(クレイグ)とサンドラ(CC)の新婚夫婦は妻の故郷ボルテッラへと向かう。二人が乗るオープンカーから捉えられた風景の変化。タイトルバックの映像はまるでヌーベルバーグ作品のように瑞々しいが、本筋に入るや映画はがらりと調子を変える。

謎めいた古い屋敷、不安を掻き立てる風、そして夜。映画は一種のミステリー仕立てだ。妻の過去を知ろうとする夫の肩越しに、秘密の開示をめぐる修辞的な物語が繰り広げられよう。監督によれば、これはギリシャ悲劇「エレクトラ」の現代版の焼き直しだと云う。

ところが、映画は何も明らかにしない。果たしてサンドラの父は、母とその愛人による密告によってアウシュビッツへ送られたのか。狂ったようにピアノの鍵盤を叩く(セザール・フランク「前奏曲・コラールとフーガ」)母はなぜ精神を病んだのか。明快な答えは提示されることなく、時間が止まったままの屋敷内には禁じられた愛の気配だけが重く澱む。

屋敷に着いた晩、サンドラは庭園を散策した。目の前に突然、弟ジャンニ(ソレル)が現れた。抱擁する二人。だが、弟は姉の胸元に顔を摺り寄せる。明らかに姉弟としての振る舞いを越えている。ヴィスコンティがホモセクシュアルだということを知っている我々には、ここで話の底が割れてしまう。それでも、二人が幼い頃にしたように貯水槽で忍び逢う場面は幻想的で美しい。これは貴族の退廃を描き続けたヴィスコンティ一流の滅びの美学と見るべきか、それとも羊頭狗肉に堕した耽美主義と見るべきか。

CCの野生的なエロティシズムは、禁断の愛もごく自然に受け入れる。この絶妙の演技は嘆賞に値するのではないか。弟は破滅し、姉は再生する。生命力としてのエロス。ラストシーン、父親の記念碑の除幕式に出るCCは純白の衣装に身を包んでいる。

熊座の淡き星影よ / 私にはとても信じられない / 父の庭園の上にきらめくお前たちに / こうして再び会えるとは / 幼い日を過ごしたこの館の / 喜びの終焉を見たこの窓辺で / きらめくお前たちと / こうして語り合えるとは

映画の題名は、イタリアの詩人ジャコモ・レオパルディの「追憶(Le ricordanze)」に由来すると云う。

■ 恐るべき雌豹 ■

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■ 関連記事 : ベニスに死す
■ 関連サイト : マーラとナーダ:二人の「ブーベの恋人」(菅谷 誠)

■ 追記
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