映画考・鏡の誘惑

いちまいのガーゼのごとき風立ちてつつまれやすし傷待つ胸は (小池光) 

高校生の頃、授業をさぼっては、場末の映画館に潜り込んでいた。
なぜ学校に来ないのか。頭の薄い教師は問うた。
何かをする。何かをしない。
誰もがその本当の理由を踏まえて、行動していると云うのか。

タクシー・ドライバー 大人は判ってくれない 勝手にしやがれ
 革命前夜 明日に向かって撃て!
 時計じかけのオレンジ 情事
 ワイルドバンチ フェリーニのアマルコルド
 バルタザールどこへ行く タクシー・ドライバー

 人はなぜ映画なんかに熱狂するのだろう。

コンピュータが拵えた不在の書割り、存在するも薄っぺらな建物、
走らない汽車、そして、非実用的な肉体を持った俳優たち。

つまりは、張り子の寄せ集めだ。
それが映画の正体。子供だましの類。

それでも人はスクリーンを食い入るように見つめ、饒舌に言葉を重ねる。

だが、いったい何について語っているのか。
誰もが自分自身の人生に悩み、苦しんでいるはずなのに。

映画は自惚れ鏡だと、佐藤忠男は云った。

人は鏡の奥を覗き見たいという欲望をもって、映画を見るのではないか。
鏡は、影見だと云う。 

スクリーンという白い暗闇に写しだされるのは、ただの光と影の戯れ。
人はそんなはかない装置にまですがって、
なにがしかの答えを探そうとする、
自分の顔を自分の眼でじかに見ることもできぬ不自由な存在。

生きることの含みは、闇に眼を凝らすことでしか見つからないのかもしれない。

映画館を出ると、きまって意識のざわめきのような風が吹いている。
       
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■ 備忘録を兼ねて、旧作を主に取り上げるのでネタバレ必至。
  危険地帯は自己判断の上、目を瞑って読まれたし。
■ 名画座育ちのせいか、記事は2本立て、3本立ての傾向あり。

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フィールド・オブ・ドリームス

以下のリストは、ある職業に携わってきた米国人が選んだ米映画ベスト10だ。果たしてその職業とは何か。

1、真昼の決闘
2、日本人の勲章
3、カサブランカ
4、ローマの休日
5、パットン大戦車軍団
6、麗しのサブリナ
7、わが命つきるとも
8、史上最大の作戦
9、戦場にかける橋
10、フィールド・オブ・ドリームス

正確には、彼らに鑑賞された回数の多い映画10本なのだが、意外な選択として、2、5、7位の作品あたりが目を引く。「日本人の勲章」は「大脱走」のジョン・スタージェス監督作。スペンサー・トレイシー、ロバート・ライアン主演、日本人は出てこない異色の社会派サスペンスだ。影の日本人が善玉に置かれて、米国人の罪を暴く。昔、テレビ放映で見た。そんな「日本人の勲章」や「真昼の決闘」と、戦争狂の軍人を描いた「パットン大戦車軍団」の取り合わせに、この職業の特徴が現れていようか。

ヒントとして彼らのお気に入りの俳優を挙げておくと、男優はジョン・ウェイン、クリント・イーストウッド、ハンフリー・ボガート、ゲイリー・クーパー、ジェームズ・スチュアートなどで、女優は断トツでオードリー・ヘプバーンだったそうだ(確かモンロー好きが一人いたはずだが)。見当がついただろうか。

正解は、アメリカ合衆国大統領。

古いビデオテープの余白に、NHKで放送された面白いドキュメンタリー番組が録画してあった。米フローズン・テレビジョン制作「大統領が愛した映画」(03年)。原題は"All the Presidents' Movies"で、その後編。ほとんどギブ・アンド・テイクとも言うべき、歴代大統領とハリウッドの親密な関係が描かれていた。ホワイトハウスには大統領専用の映写室がある。大統領はそこに作り手たちを招いてどんな映画も見られる。上のベスト10は、長年映写係を務めた男の日記を基に集計された。

トルーマンの再選にはフランク・キャプラ監督「愛の立候補宣言」なる映画が一役買った。現職大統領を描いた初の映画「魚雷艇109」の主演と監督の選考にはケネディ自ら関与した。ニクソンは検閲官さながら口出ししてハリウッドから嫌われた。自身の主演作からミサイル防衛構想のヒントを得たレーガンは政治と映画の区別がつかなかった・・・等々、興味深い話が盛り沢山だったので前編も見たいのだが、古いビデオの山のどこかに埋もれているのだろうか(まだアナログ時代に生きています)。

「フィールド・オブ・ドリームス」を最愛の一本だと証言したのはクリントンだ。「『アメリカン・ビューティー』のような際どい映画も好きだが、『真昼の決闘』以降では一番いい」。だが、子ブッシュも「フィールド」を好んだと云う。番組はナレーションを担当したバートレット大統領にこう語らせていた。「ただ野球が好きだから、彼はこの映画も気に入ったのだろう」。随分と辛辣な皮肉だが、片や民主党、片や共和党、性格的にも合いそうもない両元大統領が愛した映画だというのだから、米国的なるものが体現された映画なのかもしれない。

【 Field of Dreams 】
監督・脚本:フィル・アルデン・ロビンソン (1989年・米)
原作:W・P・キンセラ
撮影:ジョン・リンドレイ 音楽:ジェームズ・ホーナー
出演:ケヴィン・コスナー、エイミー・マディガン、レイ・リオッタ、ジェームズ・アール・ジョーンズ、ドワイヤー・ブラウン

フィールド・オブ・ドリームス幼時にレイ(コスナー)は母を失った。故障で大リーガーの夢を断念した父に育てられた。子守唄は、八百長試合に連座して球界を追放されたシューレス・ジョー・ジャクソンの話だった。だが、長じて息子は父に反発する。60年代。その抜け殻のような人生を憎んで、家を飛び出した。

そして今、中年になったレイが、アイオワの広大なトウモロコシ畑で不思議な天の声を聞く。「それを作れば、彼はやって来る」。視覚優位の時代に声を持ち出したというのがこのお伽噺の仕掛けだ。レイは畑を潰し、野球場を作る。破産覚悟の愚行を妻や娘も後押しする。果たして、シューレス・ジョーが現れた。オールド・スタイルのユニフォームに身を包んだレイ・リオッタの佇まいに見惚れる。

野球の映画だが、伝記ものではない。弱小球団の奮闘記でもない。原作の手柄なのだろうが、実在した名選手を幻として登場させ復権させるという着想が心憎い。シューレス・ジョーは云う。「金はどうでもいい。ただプレーがしたいんだ」

少年たちが原っぱや道端で無心になってボールを追いかける。メジャーリーグには、そうした少年野球の神髄が残っていると感じさせる雰囲気がある。例えば、大リーグの球場の規格など無視したかのようないびつな形状。観客席とグラウンドを隔てる金網の不在。敵味方にかかわらず個人のファインプレーに拍手を惜しまない観客。篇中にも「グリーンモンスター」でおなじみのボストン・レッドソックスのフェンウェイパークが登場する。ベースボールには少年野球の気高い遊び心が宿っている。昨今の薬物汚染は残念だ。

「彼の苦痛を癒せ」。夢の文法で紡がれた映画だから、物語は出来すぎている。郷愁もまた甘美に流れやすい。だが、そんな難点を補って余りあるのが、ジェームズ・アール・ジョーンズ扮する政治運動家崩れの作家とバート・ランカスターの老医師の存在だ。若き日の二人は共に大リーグでの夢を立たれている。特にアール・ジョーンズが好演で、ユーモラスな雰囲気で話が単調になるのを救った。

「父さんは、犯罪者を英雄視している!」。長い道のりを経て、確執から和解へと至る父と子の映画でもある。この世で最も美しい情景とは、娘の髪をくしずける母親の姿と、父と息子のキャッチボールかもしれない。それだけに、父親の登場のさせ方など、ラストシーンのフィル・アルデン・ロビンソン監督の演出や画面構成の手際の悪さがやや目につく。

臆することなく純朴な夢と良心を謳い上げる。嫌味にならなかったのはそのせいか。米映画ならではのヒューマニズムの香りが匂い立つ。ところが、父ブッシュはこの映画の意味が分からず、苦言を呈した。その話を伝え聞いたロビンソン監督の母堂は、大統領にこんな手紙を出したと云う。「あなたが理解できなかったことが傑作の証なのでしょう」。痛快。「大統領が愛した映画」にあったもう一つの逸話だ。

と、ここで話を切り上げたかったのだが、ネットで調べて驚いた。シューレス・ジョー・ジャクソンって右投げ左打ちではないか!何でまた。白璧の微瑕とは云えない。伝統を重んじるメジャーリーグに対する冒涜なのではないか・・・。

■ 予告編 :フィールド・オブ・ドリームス

■ それを作れば、彼は来る ■
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■ 追記
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らせん階段

20世紀初頭、ニューイングランドの田舎町。活動写真がやって来る。銀幕には新たな男の出現に心移りしてしまったメエ・マーシュの姿が映っている(追記)。彼女の運命はどうなるのか。ホテルに設けられた映画館で、ヘレン(マクガイヤ「紳士協定」)が食い入るように見つめていた。だが、カメラは場内からゆっくりと天井を映し出す。二階の部屋で若い娘が身支度をしていた。クローゼットの奥には暗い目が潜んでいた。その瞳の大写しに映る娘の姿。彼女が上着を着ようと両腕を上げた瞬間、その手は痙攣し虚空を掴む。

【 The Spiral Staircase 】
監督:ロバート・シオドマク (1946年・米)
原作:エセル・リナ・ホワイト
脚色:メル・ディネリ 撮影:ニコラス・ミュスラカ
出演:ドロシー・マクガイア、ジョージ・ブレント、エセル・バリモア、ロンダ・フレミング

らせん階段「らせん階段」は、心理サスペンスの傑作として知られる。原作は「バルカン超特急」のE・L・ホワイト。監督はバート・ランカスターとエヴァ・ガードナー主演「殺人者」(46年)のロバート・シオドマク。誰もが「レベッカ」「汚名」「サイコ」等を連想しようが、ヒッチコックの塁を摩す映画とするまでもないのだろう。ヒッチコック、1989年生まれ、シオドマク、1900年。

界隈で連続殺人事件が起きていた。被害者はいずれも体に障害を持った女性だった。急ぎヘレンも帰路に着くが、にわかに雲行きが怪しくなる。尾行されている気配もした。ヘレンは棒片で柵を鳴らしながら歩く。両親を火事で亡くして以来、彼女は声を失っていた。

寝たきりの老女主人(バリモア)の古い屋敷が舞台だ。見るからに冷酷そうな雰囲気の老婆だ。だが、小間使いのヘレンを愛していた。不穏を察知して、彼女に邸を去るように促す。継子の生物学者ウォーレン教授(ブレント)が反対する。冷笑的なその義弟、美人秘書(フレミング)、庭師・・・犯人の目星はすぐにつくが、ミステリーの手続きを踏まえた人物描写は怠らない。

ウォーレン教授の風貌から「エル」を、邸内に飾られた蝶の標本から「嵐が丘」をといった具合に、取り留めもなくブニュエル映画が脳裏をかすめる。だが、映画は禍々しいサスペンスの醸成にのみ心血を注ぐ。嵐の一夜、螺旋階段、地下室、鏡、蝋燭といった定石通りの道具立てで物語を紡ぎ出す。

ヘレンは美人秘書と共に屋敷を去る決意をする。ところが、地下室に荷物を取りに行った秘書が戻ってこない。様子を見に行った彼女の前に義弟が現れた。やはり、そうだったのだ。ヘレンは咄嗟の機転で義弟を部屋に閉じ込める。かねて彼女に好意を寄せる青年医師に助けを求めるべく受話器を取る。声が出ないことに気付く。

可憐なドロシー・マクガイヤが身を震わせる。「暗くなるまで待って」のオードリーも参照したかもしれない。総毛立つほどの恐怖感だとは云わない。ただ、姿の見えない犯人の目と化したカメラの動きと、不気味な音楽、そして光と影の配合に、映画ならではの息使いを感じる。古典的な技法とモノクロ映像のロマンチシズムを堪能する。今の時代には古色を帯びて映るのか。

かつて映画は大人の娯楽だったが、1978年の「スター・ウォーズ」あたりから子供向けのものが主流になった。過日、そんな内容の新聞記事を読んだ。「今の作り手は、観客を退屈させてはいけないという強迫観念に捕らわれている。VFXを多用し、めまぐるしくカットを割り、次から次へと新しい映像を見せようとする」(大高宏雄)。シオドマクの映画などを見ると、ハリウッドが忘れたものがよく分かる。

【 Cry of the City 】
監督:ロバート・シオドマク (1949年・米)
原作:ヘンリー・エドワード・ヘルセス 脚本:リチャード・マーフィー
撮影:ロイド・エイハーン 音楽:アルフレッド・ニューマン
出演:ヴィクター・マチュア、リチャード・コンテ、シェリー・ウィンター、デブラ・パジェット、ホープ・エマーソン

都会の叫び「都会の叫び」は、格別評価が高いわけではあるまい。当時流行したというフィルム・ノワールの平凡な一本なのだろう。それでも、どこから眺めても贅肉がなく、均整の取れた構成と簡勁な筆致がいい。B級映画の手本のような仕上がりではないか。

警官との銃撃戦で深手を負ったならず者のマーチン(コンテ)が、病床に横たわっている。キャンデラ刑事(マチュア)が見守るなか、ナイルズという弁護士が別件の老女殺しの自白を迫った。マーチンは唾を吐きかける。新たな疑惑の浮上で、キャンデラは老女殺しの捜査に乗り出す。男女二人組の犯行という線が浮かび、彼はマーチンの情婦の割り出しにかかる。

ナイルズがマーチンを再訪する場面で、観客にはことの顛末が明かされる。老女殺しの罪を被ってくれるなら、莫大な見返りを保証しよう。マーチンはそんな悪徳弁護士の誘いを再びはねつける。ナイルズは逆恨みした。お前の情婦を陥れてやる。マーチンは、情婦どころかまだあどけない恋人(パジェット「折れた矢」)を魔の手から守るために脱獄する。

配役が渋い。刑事に「サムソンとデリラ」のヴィクター・マチュア、ならず者に「オーシャンと11人の仲間」のリチャード・コンテ。映画の勘所も両者の境遇にある。二人は貧しいイタリア移民街に育ったの幼馴染なのだ。だが、劇的たりうる友情と職務をめぐる葛藤といった主題に、ことさら焦点が当たるわけではない。B級映画の倫理は物語の叙述に徹すことを旨とする。画面に描かれるのは善と悪に袂を分かった二人の消息とその周囲だけだ。息子の非行を嘆く母や兄を英雄視する弟の造形に血が通っている。あるいは、夜の都会にうごめく怪しげな連中。

さり気なく趣向を凝らした等身大の暴力描写も、かえって生々しい。例えば、マーチンがナイルズに逆襲する場面。ならず者は力任せに椅子の背もたれごと弁護士を刺し殺す。宝石を懐に押し込んで退散しようとする。物音に振り返る。床に落ちた遺体がこちらを睨んでいた。惰性で椅子はまだゆっくりと回転している。志賀直哉が暴力を撮ったかのような即物的な表現に身震いする。それに輪をかけて恐ろしいのが、老女殺しの犯人の片割れである女マッサージ師(エマーソン)だ。ジョージ・C・スコットの顔を持つ怪物のような大女が、マーチンの体をほぐす手をそっと首へ回す・・・。

型通りの結末が胸を打つ。法の名の下において、マーチンの海外逃亡を許すわけにはいかない。瀕死のキャンデラは渾身の力を振り絞って銃の引き金を引く。教会の前の通りを縦に捉えた構図の奥で、マーチンの体は崩れる。弟は間に合わなかった。英雄の哀れな末路に己の非を悟る。

映画のリアリティを保証するのは、人物の心理の襞を明るみに出す作者の眼光ではなく、安易な叙情の浸透をどこまでも禁じながら、雨に濡れた夜の舗道の美しさを浮かび上がらせる照明の方なのかもしれない。悪は滅んで、善は生き延びた。それでも、何が変わったのか。

フィルム・ノワールとは、車のヘッドライトが雨に煙る夜の都市と探偵の孤独を照らし出す人間不信と社会腐敗の寓話である。探偵は過去に傷を負った覚えがある。だが、たとえ事件が解決しても、ただ一個の犯罪が一個の死をもって償われたに過ぎず、消費と幸福を等号で結ぶ都市のシステムそのものの改変には及ばない。探偵の心は晴れない。
(加藤幹郎)

加藤によれば、フィルム・ノワール流行の背景には、ナチスの迫害を逃れて渡米したユダヤ人作家らの存在がある。もちろん、シオドマクもその一人だ。

■ ジャンル映画、モノクローム、ハリウッド ■

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■ 追記
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スプラッシュ

米国の精神とは、煙に覆われた階段を突進する消防士の勇気であり、子供を育てる親の意志であり、それが我々の運命を最終的に決める。

It is the firefighter's courage to storm a stairway filled with smoke, but also a parent's willingness to nurture a child, that finally decides our fate.

消防士はオバマ大統領の就任演説でも引かれていた。米国では英雄的な職業として尊敬されているのだろうが、ロン・ハワード監督によると、「消防士や警官という仕事は米国人の多くが敬遠した。だから、米国に移住した貧しいアイリッシュたちが引き受けた。組織化する能力に長けていた彼らは、家族でその仕事を受け継ぎ、強い絆で伝統にした」

【 Backdraft 】
監督:ロン・ハワード (1991年・米)
脚本:グレゴリー・ワイデン
撮影:ミカエル・サロモン 音楽:ハンス・ジマー
出演:カート・ラッセル、ウィリアム・ボールドウィン、ロバート・デ・ニーロ、スコット・グレム、ジェニファー・ジェイソン・リー、レベッカ・デモーネイ、ドナルド・サザーランド

カート・ラッセル演じる兄は、殉死した父親の後を継いだ。少年時代、父の最期を目撃してしまったウィリアム・ボールドウィンの弟は曲折を経るが、血は争えない。いつしか消防士の道を選び兄の下に配属される。だが、弟は勇敢な兄のように火中に飛び込んで子供を救うことができなかった。兄は弟にこの危険な仕事から手を引かせたかった。

「バックドラフト」は案に相違して、兄弟の確執と和解を軸にした単純な英雄譚ではなかった。ミステリーの要素を盛り込んで、筋立ての手が込んでいた。バックドラフトを利用した放火殺人事件がそれだ。バックドラフトとは、火事で室内の酸素がなくなって燃えないガスが充満しているところへ、いきなり扉を開けるなどして酸素を送り込むと大爆発を起こす逆気流現象のこと。この事件の調査に当たるのがロバート・デ・ニーロで、地味な役どころながら全編を引き締めていた。

兄の慢心が後輩の命を奪い、弟は兄に反発する。孤立した兄に離婚した妻が手を差し伸べる。そんな折、デ・ニーロの助手に鞍替えしていた弟の胸中に、獄中の放火魔の話から、兄が犯人ではないかとの疑念が兆す。消防署を潰して跡地で一儲けを企む悪徳議員一派を亡き者にしようと・・・。この放火魔を演じるのがドナルド・サザーランドで、「羊たちの沈黙」のレクター博士のような役回りを演じるというのが面白い。「父が死んだとき、炎はお前を見たか?火は憎しみを持った生き物だ。自分の意思で燃える。火に勝とうと思うなら、少しだけ火を愛せ」

その火のスペクタクルが映画の最大の見どころだ。例えば、高層ビル火災の火元を捜す場面のサスペンス。煙が扉の下の隙間から出てはさっと引っ込む。紅蓮の炎は、叫び声(!)を上げて正面から背後から襲い掛かる(SFXチームが開発した低温の炎を使ったという)。まさしく神出鬼没なエイリアンとして描かれていた。

ミステリーの種明かしは避けて結末だけ触れれば、自己犠牲と連帯という美徳に殉じた英雄たちに対する葬送パレードが、こちらも壮大なスペクタクルとして描かれる。これならオバマ大統領も鼻が高いだろう。ぜひ米国には「世界の警察官」ではなく「世界の消防士」として活躍してもらいたい。

ロン・ハワード監督は「ビューティフル・マインド」でオスカーに輝いた。「スパイクス・ギャング」のあの少年も今や正統的なハリウッド映画の担い手として、手掛けるジャンルも幅広い。だが、初期のロマンチック・コメディの方がが好きだというファンも少なくないのではないか。

【 Splash 】
監督:ロン・ハワード (1984年・米)
原案:ブルース・ジェイ・フリードマン
脚本:ローウェル・ガンツ、ババルー・マンデル
撮影:ドン・ピーターマン 音楽:リー・ホールドリッジ
出演:トム・ハンクス、ダリル・ハンナ、ユージン・レビイ、ジョン・キャンディ

「バックドラフト」が火の映画なら、「スプラッシュ」は水の映画だ。その風景を巧みに織り込みながら、現代のニューヨークを舞台に美しい人魚と内気な青年の純愛を描く。

本物の人魚を見たことはないが、まさしく人魚そのものと化したダリル・ハンナが生彩を放つ。裸で街中を闊歩したり、時代遅れの「アニー・ホール」ファッションに身を包んだり、終日デパートのテレビの前でエアロビクスをしたり、その突拍子のない振舞いと無邪気な色情狂ぶりの愛らしさと云ったらない。高級レストランでロブスターに齧りつく姿も忘れがたい。

水に濡れると下半身が鱗だらけになるが、乾くと人間の足になる。他愛のないお伽噺でも実写で見ると新鮮な驚きがある。風呂場で気持ちよさそうに人魚の尾びれを開く場面などは、見てはいけないものを見てしまったかのように艶かしい。ブロンドのワッフルヘアーなびかせて海を泳ぐ彼女の鼻孔からも空気は漏れない。

人魚の正体を暴こうとする間の抜けた科学者に、大統領暗殺場面よろしく衆人の前で水を浴びせられるところから物語は急転回するが、勿論ハワード版「人魚姫」はハッピーエンドで結ばれる。ロン・ハワードにとっては水中は至福の空間のようだ。あるいは生命の起源としての海。文字通り回春の泉を描いたSFファンタジー「コクーン」(85年・米)を想起しよう。孫との別れを前にした老人(ウィルフォード・ブリムリー)は小津安二郎「父ありき」のように川釣りをしていた。そう云えば、出世作「ラブ IN ニューヨーク」(82年・米)の最後に出てきた高級クラブにもジャングルプールがあったか。

アパートに帰宅するたびに犬に追いかけられ、神経症気味の恋人にも悩まされる。死体置き場の夜勤として働く冴えない青年(ヘンリー・ウィンクラー)。隣に住む売春婦(シェリー・ロング)がヒモを殺され困っていた。ピンはねと暴力を受けても仕事の受注と用心棒として欠かせない。青年はお調子者の同僚(マイケル・キートン)に唆されて、死体置き場で売春ビジネスを始めることになる。

ビリー・ワイルダーとウディ・アレンを足して2で割って水で薄めたような映画とでも云えばいいか。伝統的なロマンチック・コメディの定石を踏まえた作風をすでに自家薬籠中の物にしていた。四半世紀以上のキャリアを経て、現在は「フロスト×ニクソン」が公開中だ。こちらの評判もいいようだ。ニクソン大統領と云えば、ウォーターゲート事件・・・・・。

■ 予告編 :バックドラフト スプラッシュ

■ ロブスターに齧りつくダリル・ハンナのキュートさ ■

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生きる

小林多喜二の「蟹工船」が再び脚光を集めている時代だから驚くには当たらないのかもしれない。NHK・BSで放送された没後10年黒澤明特集の「あなたが選んだ黒澤アンコール」で、「赤ひげ」が2位に選ばれた。監督自身、当時の集大成だったという作品でもある。2位から5位までは僅差だが、視聴者の見識は高いと云うべきか。

1位 七人の侍
2位 赤ひげ
3位 用心棒
4位 生きる
5位 天国と地獄

思いのほか「デルス・ウザーラ」(9位)が人気を集めた一方で、「酔いどれ天使」(14位)や「素晴らしき日曜日」(25位)の票が少なかった。

【 赤ひげ 】
監督:黒澤明 (1965年・東宝)
原作:山本周五郎
脚本:井手雅人、小国英雄、菊島隆三、黒澤明
撮影:中井朝一、斎藤孝雄 音楽:佐藤勝
出演:三船敏郎、加山雄三、二木てるみ、頭師佳孝、内藤洋子、土屋嘉男、団令子、香川京子、根岸明美、山崎努、桑野みゆき、杉村春子

江戸末期、長崎で蘭方医学を修めた青年医師(加山)が、本人の希望に反して江戸の小石川養生所に配属される。彼は出世の道を閉ざされた不満から、赤ひげと呼ばれる傲慢な所長(三船)に反抗する。

昔のように低予算で小品を撮ってみてはどうか。撮影現場を訪れたある評論家にそう云われた監督は血相を変えた。「赤ひげ」など、「ベン・ハー」のワンカットにも及ばない!以後、世界のクロサワは思うように映画を撮れなくなる。そんな裏話を思い出しながら、久しぶりに見た。

香川京子扮する色情狂の女に青年が襲われる場面には息を呑んだ。それでも、3時間の長尺には倦んでしまった。

全編がエピソード構成の市井人情ものでもある。胸の内を明かさなかった老人の厳粛な臨終、腕ずくの手術、猥雑な長屋の面々、車大工(山崎)の悲恋・・・。青年はそんな庶民の窮状を目の当たりにする。赤ひげが貧しい人々のために献身する姿にも共感する。政治は貧困や無知に対して何もしない。医は仁術でなければならない。医を算術だと履き違えていた青年は目を開く。

赤ひげの人物像が勘所だ。無骨ながら心根は優しい。刀こそ帯びていないが、喧嘩も滅法強い。弱味を握った役人を利用することも辞さない。だが「俺は悪人だ」。自らを悪人と称するのはどんな人種なのか。身元不明の英雄が自分の姿に充足する。そんな気配が鼻につかないか。無論、門構えと二人の上半身を仰角気味に捉えた構図は随所に決まる。

政治の責任を問いながら、映画はどこか白々しい。監督の善意は疑わないが、直情的なヒューマニズムと理想主義が幅を利かす。こんな超人がいたら政治は要らない。倫理を説きながら映画の射程は現実に届かない。娯楽映画に望蜀の言というものか(※)。

岡場所から救い出した少女(二木)と「子ねずみ」の交流を描いた後半はいい。ただ、娼家での虐待によって極度の人間不信に陥っていた少女がかくもあっさりと回復してしまったのには驚いた。監督の楽天的な人間観が図らずも露呈された場面だろうか。こちらの記憶違いではあった。

盗みの現場を見逃してくれた少女に、子ねずみが別れを告げに来る。父ちゃんがひもじい思いをしないで済むところに連れて行ってくれるんだ。今夜の姉ちゃんはとても綺麗だ。さようなら。不安を覚えて引き止めようとする少女を少年は制する。「どですかでん」の頭師佳孝の一世一代の名演技。果たして、子ねずみ一家は心中を図った。瀕死の状態で担ぎ込まれる。子ねずみはすべてを承知していた。彼もまた黒澤映画の住人たるに相応しいサムライなのだった!井戸とは幽明の境なのか、少女が魂を呼び戻そうとありったけの思いで叫ぶ場面には泣けた。

これが黒澤映画の理想郷なのだから、志村喬の鬼気迫る腑抜けの表情にも惑わされてはいけない。傑作の誉れ高い「生きる」もまたサムライの映画だ。文字通り、滅私奉公によって死の恐怖を克服する男の物語なのだから。

【 生きる 】
監督:黒澤明 (1952年・東宝)
脚本:黒澤明、橋本忍、小国英雄
撮影:中井朝一 音楽:早坂文雄
出演:志村喬、小田切みき、伊藤雄之助、金子信雄、日守新一、小堀誠

この男は死人も同然だった・・・。神の声のようなナレーションがいきなりそう紹介する主人公は市役所の課長だ。30年間無欠勤、毎日、机上に置かれる書類に判を押すだけという単調な仕事を続けてきた。そんな初老の男が突然、癌で余命わずかと宣告される。呆然自失。藁にもすがる思いで二階の息子夫婦を頼る。妻を失った後に男手一つで育ててきた息子(金子)だ。だが、返ってきたのは、もはや戸籍という書類上の息子にすぎない、血を分けた他人の冷たい言葉だった。

当然ながら、小津安二郎監督「東京物語」(53年)を思い出した。家庭劇しか撮らなかった小津監督は、なぜか、ほとんど階段は画面に収めなかった。蓮見重彦は小津映画の二階は宙に浮いていると指摘した。だが、劇的な効果を重んじる黒澤監督がこの舞台装置を見逃さないはずがない。それは小津監督「風の中の牝鶏」という例外よりも衝撃的だったかもしれない。階段を絶望に打ちひしがれて下りていく主人公(の後姿)は、もはや家族に救いは求めない。

あっさりと家族を捨てた男の遍歴が始まる。メフィストフェレスを任じる小説家(伊藤!)に導かれて夜の街に繰り出し、パチンコをする、酒を飲む、女の裸を見る。安心立命は得られない。だが、救い主は意外なところから現れる。市役所を辞めて玩具工場で働き始めた若い娘だ。監督好みの顔と思しい小田切みきが演じる(「一番美しく」の黒澤夫人、矢口陽子に似ている)。決して美形ではないが、生きいきとした無邪気な笑顔と大きな目が印象的だ。彼女が語る、物を作る喜びに霊感を受ける。死んでいた男が生き返る。そのレストランでは、誕生日パーティで盛り上がっている若者たちの歌声が大きく響くだろう。

改めて云うまでもないが、「生きる」が凡百の映画と一線を画すのはここからだ。場面が一気に飛躍して、主人公の通夜の席に移る。酒に酔った役所の部下たちの回想という形になる。この構成の転調は鮮やかだが、情熱の尊さは直截には描きにくい。虚構の世界では、純度の高い熱意は挫折からしか取り出せない。主人公の情熱は実を結んだ。だが、やったことは各方面に粘り強く頭を下げたことだけだろう。絵にはならない。

破格の展開と評されたこの方便がうまくいっているとも思えない。情熱の力を顕揚するはずが、つまらない官僚批判が目立ってしまった。「あんな立場に置かれれば我々だって公園ぐらい作れる」と大口を叩き始めた連中を左朴全が一蹴する。「お前たちのようなクズにできるか!」。黒澤映画の常連の役回りとはいえ、場面をさらって意図せざる喜劇にしてしまった。後年、監督がこの映画に触れたがらなかったというのもこの故だったのではなかろうか。

いのち短し、恋せよ少女・・・光の粒のような雪が降る公園で、主人公がブランコを揺らしながら「ゴンドラの唄」を歌う。ストーブの匂いがする映画館でこの場面を見て泣いたのが作曲者の中山晋平だった。そして28日後に亡くなった。そんな話を朝日新聞「うたの旅人」で読んだ。この唄は彼が薄幸の母の人生を重ねて作ったものではないかという。だが気になるのは、やはり黒澤監督も尊敬していたというあの監督の評価だ。果たして小津監督は「生きる」をどう見たのだろうか。

■ 男は女に弱い。恥じるには及ばないが懲りるだけは懲りろ ■

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■ 追記
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鬼火

それは病気や失恋、経済的破綻のせいではなかった。ただ胸の内に長く細く揺らめく青白い虚無の炎のせいだった。傲岸不遜な魂の美しき死。時に、映画は罪深い。日本では14年間も公開されなかった。

【 Le Feu Follet 】
監督・脚本:ルイ・マル (1963年・仏)
原作:ピエール・ドリュー・ラ・ロシェル
撮影:ギスラン・クロケ
音楽:エリック・サティ
出演:モーリス・ロネ、ベルナール・ノエル、アレクサンドラ・スチュワルト、ジャンヌ・モロー、アンリ・セール、レナ・スケルラ 

鬼火アラン(ロネ)はアルコール中毒だった。30歳。医者は治ったと云う。だが、鬼火は消えない。マリリン・モンローの死亡記事などが乱雑に貼られた部屋の鏡に書き留められた7月23日という文字。あと二日しかない。アランは療養所を抜け出してパリに舞い戻る。それでも人生は生きるに価するのか。昔の仲間を歴訪する。

エジプト学者に収まっていた親友が云う。「今は酒色に溺れていた昔より充実している」。美しかった恋人(モロー)は麻薬の退廃に身を委ねていた。そして晩餐会で味わう、依然として上品ぶった連中の鼻持ちならない確信と落着き。

徒労だった。すべては地獄めぐりの点景に過ぎなかった。太陽に手は届かない。アランは予定通りピストルを撃たざるをえない。遺書はこうだ。「僕は死ぬ。君らが僕を愛さず、僕も君らを愛さなかったからだ。僕らの緩んだ関係を締め直すために、君らの心に永遠に消えない染みを残そう」

エリック・サティは「鬼火」で知った。サティを聴けば、モーリス・ロネの憂愁を湛えた表情が浮かぶ。そして、往来を行き交う人々を眺めているうちに、世界の中に存在していることに息苦しくなり、自制していたアルコールに再び手を出してしまうオープン・カフェの場面が蘇る。

「彼は二度と帰ってこない。映画はそこで終わるから。でも、カメラがずっと回り続けているのなら、あの牧場で母親と子供は延々と働き続ける。格好よく立ち去ったっていうのは、彼の卑怯な手口。思い出になってしまえば、永遠に人を支配できるのだから」

先日、中島らもの「今夜、すべてのバーで」を読んだ。これは「シェーン」を引き合いに出して、女性が主人公を詰る場面の台詞だ。破天荒な生き方のあげく酔余の転落事故であっけなく世を去った作家でさえ、アル中患者の主人公を相対化することを忘れなかった。だが、当時30歳のルイ・マル監督は他者の視点を借りない。注釈を交えない。平凡な生活に充足することを拒み、青春の情熱に執着する男の姿をそのまま醒めた目で提示する。

胸に撃ち込まれる一発の弾丸に収斂していく内面の彷徨だけで、映画が成立することに驚く。死んだように生きるくらいなら、きっぱりと死を選ぼう。これは甘えたブルジョワ青年の当てつけ自殺なのか、それともあまりにも純粋な魂の孤高の死なのか。

だが、アランは死の恐怖を前に動揺しなかった。髭をそり、身支度をした(手慰みに弄んでいた、あの小さな粗末な人形もスーツケースにしまった)。そして、読みかけの本の最後のページを読み終えると、何の変哲もない日常的行動の一つであるかのように銃の引き金を引く。全編には、哀切なまでに澄んだサティの旋律が響いていた。

マルは多彩な作風で知られる。都会的なサスペンス映画「死刑台のエレベーター」や耽美的な恋愛劇「恋人たち」はじめ記録映画も撮っている。「地下鉄のザジ」は、超現実主義的な感覚の横溢するドタバタ喜劇だ。それにしても、アランの放埓にも華やかだった青春とはどんなものだったのか。

【 Zazie dans Le Metro 】
監督:ルイ・マル (1960年・仏)
原作:レイモン・クノー 脚本:ジャン・ポール・ラプノー
撮影:アンリ・レイシ 音楽:フィオレンツォ・カルピ
出演:カトリーヌ・ドモンジョ、フィリップ・ノワレ、ユベール・デシャン、アントワーヌ・ロブロ、アニー・フラテリニ、カルラ・マルリエ、ヴィットリオ・カプリオ

ザジ(ドモンジョ)は手のつけられないお転婆娘。10歳。母親も母親で恋人と二人きりで過ごしたいからと、ガブリエル叔父さん(ノワレ)に預けられた。でも、憧れのパリ見物。時間は一日と半分。お目当ての地下鉄はストライキ中だったけど、人生は楽しまなくっちゃ。

ザジは叔父さんの目を盗んで町に飛び出す。幼女性愛者のような怪しいおじさんが近寄ってきたが、行儀悪く貝料理を食べて困らせる(染み!)。追いかけられても、無声映画のチャップリンよろしく逃げ回る(コマ落とし、ジャンプカット)。エッフェル塔にも登ったし、大人の愚かな恋愛騒動も垣間見た。アランが言っていたように、ホント乱痴気騒ぎの町だわ。そもそも、ガブリエル叔父さんはゲイバーの踊り子のようだし、美人の奥さんも謎めいていてお化けみたい。

軽快なテンポで描かれる万華鏡のようなパリのスケッチ。風変わりな人物が闇雲に駆け回る。一篇の劇映画としては掴みどころがない。恐らく、あらゆる映画技法を駆使してドタバタ喜劇の世界で遊んでみせたメタ・ドタバタ喜劇という趣向なのだろう。子役ながらも可愛げがなくて小憎らしい、という主人公の少女も人を食っている。結末も荒唐無稽に徹して、お定まりの破壊の大団円だ。

ザジはついに念願の地下鉄に乗れたのに、疲れ切って眠ってしまう。引き取りに来た母親が聞く。「楽しかった?」「ただ年を取っただけ」。生意気盛りの少女ならいかにも言いそうな台詞だが、どことなく似ているような気もする。「鬼火」は「地下鉄のザジ」の究極の陰画だった・・・・・もちろん、何の根拠もない深読みである。

■ 君らが僕を愛さず、僕も君らを愛さなかったから ■

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