今宵かぎりは・・・

「愛とは虚構であり、それ自体ひとつの錯誤であって、他者との関係は所詮、孤独な自我のひとり相撲に過ぎない」

ファンの間で語り草となった山上のオペラ場面に加えて、「ラ・パロマ」(1974年)で何より驚いたのは、物語の山場である死者の棺を暴く場面で突如として鳴り響くルンバだった。場違いとも思えるその明るいメロディは、怪奇メロドラマを一瞬のうちにパロディに異化し、物語の因果律を奪い、不気味な哄笑のうちに見る者を路頭に放り出す。

監督は言う。 「紋切り型を暴き出すと同時に顕揚するような映画を撮りたかった」

果たして、そんな映画を何食わぬ顔で撮ってしまう監督を追悼していいものかどうか。

New York Times の記事によると、嘘かまことか、オペラの演出家としても知られるスイス人映画監督、ダニエル・シュミットが癌のため64歳で死去した。

The first theatrical film he directed was the experimental “Heute Nacht Oder Nie” (1972), also known as “Tonight or Never,” about servants and masters in an old castle who switch roles for one night every year.
Mr. Schmid directed documentaries, including “Tosca’s Kiss,” about elderly opera singers living in a retirement home.

監督作品は十数本しか残していないが、ここで言及されているのは「今宵かぎりは・・・」と「トスカの接吻」、出演作としてヴィム・ヴェンダースの「アメリカの友人」のみ。困ったものだ。少なくとも日本人なら、坂東玉三郎が主演した「書かれた顔」(1995年)ぐらいは見ておくべきだろう。と言って、こちらもつい最近見たばかりなのだが。

「私はゲルマンとラテンというヨーロッパの二大文明の境界線上で生まれた。私には自己同一性なるものは存在しない。同一化すべき対象がない。常に二つのものの間を往来している」

例えば、入念に化粧する玉三郎の姿を延々と映し出す「書かれた顔」においても、シュミットの眼差しは <演技すること> <境界を越えること> に向けられる。
玉三郎は「客観的に男の目で見た女を演じている」と言う。女形とは女を抽象化した末にかえって浮き彫りにされてくるものなのか、確かにそこには女の何かが生々しく具現化されていた。杉村春子は「女を封じて女を演じる」と言う。そして、少女の扮装をした大野一雄(88歳!)の舞には甘美としか言いようのない腐臭が漂っていた。

【 Heute Nacht Oder Nie 】
監督・脚本:ダニエル・シュミット (1972年・スイス)
製作:イングリット・カーフェン 撮影:レナート・ベルタ
出演:ペーター・カーン、イングリット・カーフェン、フォリ・ガイラー

実質的な処女作「今宵かぎりは・・・」は、貴族の館における一夜の物語だ。

中世ボヘミア地方の風習に習って、その夜、一年に一度だけ主従の関係が逆転し、貴族が召使に仕える。特別に招待された旅芸人の一座が「今宵こそは」を歌い、「ボヴァリー夫人」の最期を演じ、サン=サーンスの「白鳥」を背景にデミルの「男性対女性」風だと言う羽飾りの衣装を着た女が「サロメ」を踊る。

貴族たちが円卓を囲んで降霊術に耽る場面では、どこからともなく現れた老女がバイオリンで「タイスの瞑想曲」を弾く。そして宴の終わり近く、旅芸人の一人が召使に革命を呼びかける。「我々には想像力があるから未来を作ることができる!」

ところが、死人のように無表情な聴衆たちは殆ど何の反応も示さない。時折、その言葉の馬鹿らしさに嘲笑する顔の大写しが無声映画のように挿入されるばかりだ。何も起こらない。やがて主人と召使の対等の踊りを経て、宴はお開きとなり、主従の立場は元に戻る。

暗黒、死、狂気におけるロマン主義的苦悩の気配、演劇と眼差しの力学、そして夢とうつつのあわいを彷徨するかのようなカメラワークの緩慢なリズム。それは、奇想異風趣味において演じられる映画の謂そのもののようにも見える。

誰もが夢を夢と疑わない奇妙な現実感でもって、映画の幻想性という素顔が示される。

【 Notre Dame de la Croisette 1981 】
監督:ダニエル・シュミット (1981年・スイス)
撮影:レナート・ベルタ、ブノワ・ニクラン
出演:ビュル・オジェ、キーラ・ニジンスキー、ジャン=クロード・ブリアリ 

戦前、ムッソリーニ映画祭に対抗すべく始まったカンヌ映画祭の沿革をニュース映画と関係者の証言で綴ったドキュメンタリー「パームツリーの木陰のスターたち」(1996年・独、ペーター・ゲーデル監督)を見た後だったので、余計に興味深かった。

胸をときめかせてカンヌ映画祭にやって来た女の子(オジェ)が試写会や記者会見に参加しようとするが、通行証を持たない彼女は一向に相手にされない。仕方なしにやることと言えば、ホテルの部屋で事務局に問い合わせるか、会場の周りを当てもなくうろつくだけ。ホテルのベッドに寝転がってオペラグラスを覗けば、モンロー、グレース・ケリー、オーソン・ウェルズなど往年のスターたちが生々しく甦ってくるというのに・・・・・。

映画を純粋に愛する映画ファンがにべもなく締め出される映画祭。
「カンヌー映画通り」は、そんなシュミットのカンヌ観が皮肉めいて描かれた<偽ドキュメンタリー>だ。

例によって、シュミットが関心を寄せるのは、カンヌの華やかさとはおよそ不似合いのキーラ・ニジンスキー(ニジンスキーの老いた娘)の記者会見の様子と座興で演じられる踊りである。一方、「パームツリー」によると、最近のカンヌ映画祭には商業主義とスターたちの自己顕示、狂騒が目に余ると言う。実際、シュミット自身も係員に締め出しを食らった経験を持つようだが、映画祭が大きくなればそういうものだろう。ようやく上映会場に紛れ込んだ女の子は、しかし他に観客もなく、いつまで経っても映画が始まらないので席を立つ。

我々も席を立っていいのか。
もうシュミットの新作が、スクリーンに映し出されることはないのか。
「今宵かぎりは・・・」や「ラ・パロマ」の監督が死んだとは到底思えない。
ほんのしばらく幕間に、映画から幽体離脱しているだけに違いない。

何故なら、ダニエル・シュミットは言う。
「ストーリーは、想像力を解放する役目しか持たない」

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posted by ken | Comment (0) | TrackBack (2) | 奇想
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