墨東綺譚

新藤兼人監督の代表作と言えば、瀬戸内海の小島で水を汲み、畑を耕す農民の生活をいっさい台詞なしで描いた「裸の島」(1960年)や、日本映画における原爆の描き方を良くも悪くも決定づけた「原爆の子」(52年)あたりか。時にすべてを図式的に割り切ってしまう楽天主義も顔を覗かせるが、忘れがたい映画も多い。最近の作品群や傑作と言われる「縮図」「本能」は未見。来歴はウィキペディアに詳しい。「裸の島」はまた見る機会があれば取り上げたい。

戦乱相次ぐ南北朝期。茫漠たる芒ケ原。二人の女が庵を結んで暮らしている。一人息子を戦争に取られた母親(乙羽)とその嫁(吉村)だ。男はみな戦地に駆り出された。二人は落武者を殺し、武具を売って飢えを凌ぐ。

「鬼婆」は中世を舞台にした恐怖幻想譚で、海外でも高く評価されたと言う。

【 鬼婆 】
監督・脚本:新藤兼人 (1964年・日本)
撮影: 黒田清巳 音楽: 林光
出演:乙羽信子、吉村実子、佐藤慶、殿山泰司、宇野重吉

二人の女の形相が凄まじい。獲物を狙う獣のような精悍さで落武者を仕留める。俊敏な手際、いっさい声は立てない。食い尽くした獲物は穴に捨てる。剥き出しにされた生存本能の発露。

演じる乙羽信子と吉村実子が文字通り獣と化す。肌は浅黒く、眼光は鋭い。汚れ役に徹して、胸の露出も厭わない。

しかし、二人の生活はひとりの男の戦地からの帰還で波風が立つ。昼夜を問わず、嫁がこの男(佐藤)と逢瀬を重ねるようになる。不安と嫉妬に駆られた義母は、般若の面をつけて二人を脅す。

無駄を排した簡潔な設定と風景描写が物語の寓意性を高める。不気味な芒のざわめき、暗く深い穴、月の満ち欠け・・・。低予算を逆手に取って、これだけのものを造形しえた監督の手腕に感じ入る。

人間の内面の救いがたい闇の素顔を暴いた結末にも息を飲む。

衝撃的なワンカットと言えば、「竹山ひとり旅」(77年)を思い出す。
貧苦のうちに育った一介の旅芸人が名人上手と謳われるに至る苦闘の半世紀を、ノンフィクション仕立てで描いた映画だ。主演の林隆三もいい。

盲目のボサマ(門付け)の旅は決して過酷さと暗さばかりに色彩られてはいない。威勢のいい東北弁と彼の人柄、そして何より旅の途上で出会う、逆境にありながらも逞しく生きる最下層の人々の姿ゆえだろう。

だが、理不尽な差別によって竹山の妻が強姦される場面がある。妻はカモメの乱舞する浜辺を狂ったように走る。竹山が追う。そこに一瞬、現在の竹山の表情が挿入される。その沈黙の顔。何も言えない。高橋竹山の津軽三味線の響きは、その沈黙の強度と激しさでもって海を越える(Amazonで見る)。

【 墨東綺譚 】
監督・脚本:新藤兼人 (1992年・日本)
撮影:三宅義行 音楽:林光 
出演:津川雅彦、墨田ユキ、宮崎淑子、瀬尾智美、八神康子、杉村春子、乙羽信子、大森嘉之

反逆する世捨て人として孤高に生きた作家の半生記。
その日記「断腸亭日乗」を軸に、小説「墨東綺譚」を山場に展開する。

「僕の文学と僕の女は一体」「芸術の制作欲は色欲と一致する」とうそぶく作家(津川)が理想の女を求める遍歴の末に、向島の私娼街・玉の井でお雪(墨田)と出会う。
時に永井荷風、58歳。

この親にしてこの子ありなのか、二人の会話が生々しいやら、おかしいやら。
「男に肉体的歓喜を与えない女は女じゃありません」
「お嫁さんを貰わないと、何かと不自由でしょう」
「家庭や子供に縛られるより、多少の不自由さを忍ぶほうが楽です」
「いっぺんは結婚なすったじゃありませんか。いいえ二度でした」
「最初の人は父上を安心させるためです。だから、すぐ離婚したでしょう」
「お嫁さんは怒ってしまいましたよ。避妊器具をお使いになるんだもの」
「離婚するなら、処女を犯してはならないと思ったんです」
「留垤薩克(るうとさっく)をお使いになっても、挿入なされば犯したと同じことですわ」
「そうでしょうか」
「そうですとも」

屈折した愛情と利己主義に生きる作家に通う芸術家としての芯。
荷風は自分の文学を認めなかった父の最期を看取ることを拒絶する。

墨田ユキが前張りなしで演じたと言うお雪の人物像も目を引く。
母性と性愛が矛盾することなく混然と溶け合って、その屈託のなさは比類がない。

監督が自ら創作したというお雪の抱え主(乙羽)と学徒出陣する息子の情話が哀切だ。
召集前夜、お雪は女を知らない息子に身を預ける。風狂の作家に弱者への共鳴、反権力の意識が滲み出す。「これで死んでもいいなんて言うから、生きて帰ってきてよって言ったのよ」と、お雪は荷風の胸で泣く。荷風は答える。「優しいんだね。今日はこれで帰るよ。お前がいい女だと思うからそうするのさ」。荷風はトレードマークだった雨傘持参の正装姿をやめる。

若いお雪に結婚を迫られたとき、荷風は身を引く。年恰好の違いゆえ幸福にしてやることはできないというのが名目だが、そこには真に人と交われない荷風の現実逃避的な性質が働いているのか。

それでも、お雪は「あの人は嘘をつくような人ではない」と健気に待とうとする。最愛の息子を戦争に奪われ、今は黒眼鏡にも頓着しなくなった抱え主は、彼女の心境を理解してこくりと頷く。

これは新藤の作品歴にあって出色の一篇だろう。
透明感のある艶を帯びた映像は、当時80歳を超えた老大家の手になるものとは思えない。同じく芸術家の愛欲を主題にして、樋口可南子と大ダコの絡みが評判を呼んだ「北斎漫画」(81年)と比べても、語り口に洗練と抑制の度を深めている。

転変の人の世の無常を思わせる終幕も印象的だ。米軍相手の商売で羽振りのいいお雪親子と老残の荷風がすれ違う。もちろん、監督の眼差しに皮肉の色はない。エリート官僚の家系と、富国強兵、欧化政策といった明治の時代相を嫌悪し、江戸戯作者のように生きた作家の孤独な死には、ある種堂々たる大往生の気配さえ漂う。

■ 欲望、欲望、欲望! ■
鬼婆鬼婆
角川エンタテインメント 2001-08-10
売り上げランキング : 46606
おすすめ平均

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

墨東綺譚墨東綺譚
角川エンタテインメント 2001-10-10
売り上げランキング : 50610
おすすめ平均

Amazonで詳しく見る
by G-Tools



■ 追記 ■

「世界一の愛妻物語〜乙羽信子と新藤兼人」 (日本テレビ)

宝塚出身の看板女優という座に飽き足らなかった乙羽が、会社の反対を押し切って新藤の初監督作品「愛妻物語」(51年・大映)に主演し、以後、貧しい独立プロでの共同作業を通じて同志的な愛で結ばれる。
「いつかいいものが書きたい。書けずに死ぬかもしれない。それでも満足です。この物語の妻が私にそう教えてくれた」と抜けぬけと云う「愛妻物語」自体は、駆け出しの脚本家時代の新藤を支えた亡き妻の思い出を描いた平凡な純愛メロドラマだった。
新藤は再婚しており、乙羽は27年間、日陰の女の身に甘んじる。それぞれ「乙羽さん」「先生」と呼び合う。新藤の子を堕ろした後に「鬼婆」を撮っていたことに驚く。このコンビが残した映画の本数44は世界最多だとか。

後半は腰砕けと言うか、ぼかしたのか。乙羽を演じた片平なぎさは「二時間ドラマの女王」と呼ばれるだけのことはあった。対する寺脇康文は難しい役どころとはいえ落第。

posted by ken | Comment (0) | TrackBack (0) | 官能
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/23493170

この記事へのトラックバック