監督・撮影:原一男 (1987年)
製作:小林佐智子 企画:今村昌平
奥崎謙三の有無を言わせぬ厳しい追及を前にして、
元兵士たちは如実に周章狼狽の色を示す。
そこには人肉食という世にもおぞましい事件に関与した
後ろ暗さがあるからだろう。
だが、いまや市井の平凡な老人の貌をした彼らは、
当時もまた「絶対的」な制度によって否応無く軍隊機構に組み込まれた存在にすぎないのではないか。
事実、二人の兵士は敗戦後二十三日後にもかかわらず、「敵前逃亡」という多分に籍口されたと思しき無実の罪によって闇に葬られている。上官命令に違反することは、即、自分の首が危うくなることを意味する。そうした絶対的な制度の中で生きざるを得なかった者たちのうち、一体誰が命を賭して抵抗できたと言うのか。
奥崎は原一男のキャメラを明らかに政治的に利用している。言うなれば、用意周到に仕組まれた奥崎の自己宣伝映画だ。彼のその過剰ともいえる演技臭が鼻につく。
奥崎は「裁きのキャメラ」を前にして、真相究明という「悪」の剔抉を人目を引かずにはおかない過激なパフォーマンスで演じてみせる。だが、その「悪」は果たして何に宿ったのか。奥崎は自らは人肉食に関わらなかったという無謬の立場から攻撃する。そうした彼の立場からは、苦渋に満ちた沈黙という身振りで己の罪に耐える老人の哀しさは見えない。
そして「神の法」の番人を任じる奥崎は、戦争とは何ら関係のない元将校の息子に発砲し、重症を負わせる。しかし、「人の法」に則ることで、とりあえずの秩序と安寧を維持して生きざるを得ない者に、奥崎の言動は妄執にしか見えないのではないか。
なるほど何かを表現する際に客観や公平などありえない。だが「絶対者」を演じる奥崎に付き従って、決して彼の人となりや言動を対象化しようとしないキャメラとは一体何なのか。原一男は天皇制という膿を退治するために、敢えて混沌とした状況を生起させるべくキャメラで奥崎と自分の関係を挑発したと言うが。
その奥崎謙三が死んだ。享年85。
そして太平洋戦争の戦没者を慰霊するために、天皇陛下が初めて外国に行った。
奇しき因縁を感じないでもない。
「ゆきゆきて、神軍」から18年経つ。
戦争や天皇制をめぐる政治や言論の風景は徐々に変わった。
中島らもがこの人を評して、「まっとうな野菜がそうであるように、彼はゆがんでいる」と言ったとか。
物議を醸したこのドキュメンタリー映画を、もう一度見直してみようか。
■ これが異常に見えてしまうほうがおかしいのか? ■
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TBさせていただきました。
僕も批判的な立場からのコメントです。
よろしくお願い致します。
ちょっと、ついていけない人ですよね。